使う人の声なき困難に寄り添って：ヘンリー・ドレイファス、人間中心設計が拓いた世界のデザイン
サイト「創造する共感者たち」では、共感力を活かして偉大な創造を成し遂げた人々の物語をお届けしています。今回は、現代デザインの根幹とも言える「人間中心設計（Human-Centered Design）」の父と呼ばれる、インダストリアルデザイナー、ヘンリー・ドレイファス氏に焦点を当てます。彼がどのようにして「使う人」への深い共感からデザインのあり方を変革し、私たちの日常に寄り添う製品を生み出したのか、その軌跡をたどります。
ヘンリー・ドレイファスとは？
20世紀初頭のアメリカで、工業製品のデザインは主に「スタイリング」、つまり見た目の美しさや流行を追うことに重点が置かれていました。しかし、ヘンリー・ドレイファス氏（1904-1972）は、デザインの本質はそこにはないと喝破しました。彼は、製品がどのように見えるかだけでなく、人々がそれをいかに快適に、効率的に、そして安全に使えるか、という点こそが最も重要であると考えたのです。
彼の顧客リストには、ベル電話会社、ジョン・ディア、ロッキード社など、当時のアメリカを代表する企業が名を連ねています。彼がデザインした製品は、私たちが今でも目にする多くのものの原型となりました。電話機、サーモスタット、真空掃除機、トラクター、そして航空機や鉄道車両の内部デザインに至るまで、彼の哲学は広範囲に影響を与えましたのです。
共感力の芽生え：「人」を中心に据えるデザインへ
ドレイファス氏がデザインキャリアをスタートさせたのは、まだ「インダストリアルデザイン」という言葉が確立されていなかった時代です。彼は当初、劇場セットのデザイナーとして成功を収めていましたが、工業製品の世界へと転じました。多くのデザイナーが製品そのものの形や機能に注目する中、彼は一貫して「その製品を使うのは誰か？」「彼らはどんな状況で、どんな目的で使うのか？」という問いを追求しました。
この問いこそが、彼の共感力の現れでした。彼は、製品を使う人々の身体的な特徴、能力、限界、そして心理的なニーズに深く関心を寄せたのです。例えば、電話機を使う高齢者の視力や聴力、トラクターを長時間運転する農場労働者の疲労、飛行機の乗客が感じる不安など、目に見えない、あるいは声として発せられない「困難」や「ニーズ」に想像力を巡らせました。
具体的な共感の実践：データに基づいた人間理解
ドレイファス氏の共感は、単なる感覚や推測に基づいたものではありませんでした。彼は、科学的なデータに基づいた人間理解を追求しました。その象徴的な成果が、彼が作成した「アンデス（Andres）」と「ヘレン（Helen）」という名の、平均的な男性と女性の身体寸法、能力、動作範囲などを詳細にデータ化した図でした。
これらの図は、様々な体格や能力を持つ人々が、製品をどのように操作し、どのようにインタラクトするかをデザイナーが具体的にイメージするための強力なツールとなりました。彼はこのデータを用いることで、「標準的な」ユーザーだけでなく、身長が低い人、腕の力が弱い人、視力が弱い人など、多様なユーザーの視点に立ってデザインを検討することを可能にしたのです。これは、現代の「インクルーシブデザイン」や「アクセシビリティ」の考え方にも通じる、画期的なアプローチでした。
共感が創造に繋がったエピソード
- ベル電話機のデザイン: 彼がデザインしたModel 302電話機は、それまでのモデルに比べて受話器の形状が人間の手にフィットしやすく、ダイヤルも回しやすくなるよう改良されました。これは、多くの人々が毎日使う製品だからこそ、細部にわたって使いやすさを追求するという、ユーザーへの深い配慮から生まれたものです。
- ジョン・ディアのトラクター: 農場労働者が炎天下や寒さの中で長時間作業することを考慮し、操作パネルの配置や座席の設計に人間工学を導入しました。これは、ユーザーの「苦痛」や「疲労」に寄り添い、それを軽減するためのデザインです。
- ニューヨーク・セントラル鉄道の列車: 乗客が快適に移動できるよう、座席の角度、照明、荷物置き場など、車内空間全体をデザインしました。旅をする人々の「体験」に共感し、それをより豊かなものにしようとした創造です。
これらの成功は、単に美しい形を作るだけでなく、「使う人」を深く理解し、そのニーズに応えるデザインこそが、製品の成功と社会への貢献に繋がることを証明しました。
困難と学び：新しい価値観の浸透
ドレイファス氏の「人間中心設計」の考え方は、当時の多くの企業やエンジニアにとっては馴染みのないものでした。デザインはあくまで製品の機能が完成した後に行われる「装飾」だと考える向きが強かったのです。彼は、デザインが製品開発の初期段階から関わり、「人」の要素を考慮することの重要性を根気強く説く必要がありました。
しかし、彼のデザインした製品が市場で成功を収め、人々に受け入れられるにつれて、彼の哲学は徐々に浸透していきました。彼の著書『Designing for People』（邦題：人間工学入門）は、デザイナーだけでなく、エンジニアや経営者にも広く読まれ、後の世代の製品開発に大きな影響を与えました。彼は、デザインの力を通じて、技術と人間とのより良い関係性を築くことができると信じていたのです。
読者への示唆：あなたの創造に共感をどう活かすか
ヘンリー・ドレイファス氏の物語は、共感力が分野を問わず創造活動の強力な原動力となることを教えてくれます。特に、何かを「作る」あるいは「サービスを提供する」立場にある私たちにとって、彼の哲学は多くの示唆を与えてくれます。
- 「使う人」を深く理解する: あなたが関わる製品やサービスを使うのは誰でしょうか？彼らの日常、喜び、悩み、困難、そして潜在的なニーズは何でしょうか？アンデスとヘレンのように、具体的なデータや観察を通じてユーザーの実像を捉えようと努めましょう。
- 見えない困難に寄り添う: 多くのユーザーは、自身の困難やニーズを言葉でうまく表現できません。あるいは、それが当たり前だと思って諦めている場合もあります。想像力を働かせ、ユーザーの立場に立って物事を捉え、声なき困難や潜在的なニーズに寄り添う努力が必要です。
- 共感を創造のプロセスに組み込む: 共感を単なる感情論で終わらせず、ドレイファス氏のように、リサーチやデータ分析、ユーザーテストといった具体的なプロセスに組み込みましょう。使う人への理解を、アイデア創出や意思決定の根拠とすることが重要です。
まとめ
ヘンリー・ドレイファス氏は、インダストリアルデザインという分野に「人間中心」という揺るぎない哲学を根付かせました。彼の業績は、単に美しい製品を生み出しただけでなく、デザインとは、そして創造とは、突き詰めれば「人」への深い共感から始まるものであることを示しています。
彼の物語から、私たちは、自身のスキルや専門性を社会でどう活かすか、そして共感力を仕事や人生にどう応用できるかについて、重要なヒントを得られるはずです。あなたのキャリアや創造活動において、「使う人」の声なき声に耳を澄ませることから、新たな可能性が開けるかもしれません。